横浜地方裁判所 昭和56年(ソ)1号 決定 1981年7月31日
抗告人 パール産業株式会社
右代表者代表取締役 渡辺徳三
右代理人弁護士 岡村共栄
相手方 横井茂治
右代理人弁護士 中野新
主文
一 原決定を取消す。
二 本件調停調書更正の申立てを却下する。
三 右申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。
事実及び理由
一 抗告人は、原決定の取消の裁判を求め、その理由として別紙(一)のとおり主張し、相手方は、抗告の却下の裁判を求め、その理由として別紙(二)のとおり主張した。
二 よって一件記録により判断する。
1 原決定は、相手方の調停調書更正の申立により、原裁判所昭和三七年(ユ)第一一号建物収去土地明渡調停事件の昭和三八年三月二七日付調停調書(以下「本件調停調書」といい、そこに記載された調停条項を「本件調停条項」という。)に明白な誤謬があったとして、その調停条項第二項に、従前存在しなかった「別紙建物目録記載の建物を収去して」の文言を加入するとともに別紙として建物目録を添付して本件調停調書を更正しているので、これが調停調書にも準用される民訴法一九四条にいう「違算、書損其の他之に類する明白なる誤謬」に該当するか否かについて検討する。
2 まず初めに、本件において、土地明渡義務とその地上建物収去義務との法律的関係から、本件調停調書に建物収去の条項を付加する更正決定が正当であると結論しうるかについて検討する。
(一) 一般に、地上に建物を所有することによって土地を占有している場合に、その建物所有者の建物収去義務は、その建物の存する土地明渡義務の一内容としてその中に含まれており、ただ、通常判決主文等に「建物を収去して土地を明渡せ。」と建物収去の点も記載されるのは、現行法上建物が土地とは別個の不動産とされているために土地明渡の債務名義のみでは建物収去の執行ができないという執行法上の制約によるにすぎないとする見解が通説的地位を占めている。
右見解に対しては、異論も存するところではあるが、仮に右見解を正しいとした場合、土地明渡義務と建物収去義務との関係から本件更正決定が正当化されるかについて以下検討する。
(二) 右のように、建物収去義務を土地明渡義務の一内容と見れば、土地明渡の条項も、建物収去土地明渡の条項も、法律的に同一の意味を有していることになるから、更正決定によって前者を後者に更正しても何ら差支えないように見える。
(三) しかしながら、土地明渡条項と建物収去土地明渡条項とが法律的に同一の意味内容であるというのは、あくまで実体法の平面で観察した場合のことにすぎず、右調停条項に基づく執行の場面においては両者は重要な法律効果の差異を生ずることはいうまでもない。
そして、調停条項や裁判上の和解条項は、実体法的に同一内容であればどのように更正されても構わないというものではない。それは、例えば、ある給付を約する給付条項と、それと同一内容の給付義務を確認する確認条項とを、相互に更正することが許されないことを考えても明らかであるし、また、調停等においては、不執行の合意等の執行に関する合意をすることも可能であることを考えても、調停等の条項の執行法上の効力を無視することは許されない。
(四) 従って、実体法上の意味内容が同一であることのみをもって、執行上の効力の異なる条項に更正することは許されないといえるから、本件においても、土地明渡義務と建物収去土地明渡義務が実体法上同一内容であることから当然に原決定のような更正決定を正当化することはできない。
3 そこで次に、本件調停調書全体の趣旨から見て、原決定が更正した内容が「明白なる誤謬」にあたるか否かを検討する。
(一) 更正前の本件調停調書全体を見ると、
(1) 本件調停事件の事件名は「建物収去土地明渡調停事件」となっていること、
(2) 本件調停条項第一項中には「右契約の土地使用目的を、普通建物所有とし」と記載されていること、
(3) 同第三項中には「地上物件について時価をもって買取請求権を行使することができる。」と記載されていること、
が明らかであり、これらの諸事情を総合すれば、更正前の本件調停調書には明示されていないものの、本件調停当時本件土地上には、抗告人所有の建物が存在し、かつそのことは両当事者間の当然の前提になっていたと推認される。
(二) 次に、更正前の本件調停条項第一項、第二項の趣旨は、相手方と抗告人との本件土地の賃貸借契約は昭和五六年二月二〇日限りとし、その期間満了時に、賃貸土地を、賃借人である抗告人から賃貸人である相手方に返還するということにあると解されるから、一般に、賃借人が賃借目的物を返還する場合には、特段の約定がない限り目的物を原状に復して返還すべき義務があることからして、本件においても、抗告人が賃借土地を相手方に返還するに際しては、その地上建物を収去する義務を負うのが原則であり、従って本件調停においてもそれに反する特約がない以上その旨合意された可能性が高いと見うるし、更に前述のように、建物収去義務は、実体法的には本件調停条項第二項に明定されている土地明渡義務の一内容とされている点をも加味すればその可能性は一層強まる。
(三) また、本件調停調書を別の面から見ると、本件調停条項第三項には、本件土地明渡の際の抗告人の建物買取請求権が規定されていることから、実際は、建物買取請求権が行使されない限り建物は収去する旨の合意が成立していたのに、その合意を調停調書に表現するに際し、調停条項第二項に単純に建物収去土地明渡義務を規定すると、建物収去義務と第三項の前記建物買取請求権とが矛盾するような印象を与えるため、これを避け、右第二項に建物収去の文言を入れなかったのではないかとの推測、すなわち、本件調停調書は、建物収去義務と建物買取請求権との関係を調書に適切に表現しえなかったという。調書作成上の拙劣さないし表現上の過誤によって建物収去の文言が脱落してしまったのではないかとの推測が生ずる余地がある。
(四) 以上の諸点を考慮すれば、本件調停に際し、本件土地明渡の際に地上建物を収去する旨の合意が明示的あるいは黙示的に成立したが、調停調書作成上の単なる表現上の過誤によって建物収去の文言及び建物目録が脱落したにすぎないと見て、原決定のような更正決定が許されるとの見解も決して故無きものではない。
(五) しかしながら、以下の点も考慮すべきである。すなわち、既に述べたように、本件調停事件は、建物所有目的の土地賃貸借の終了が問題となっているのであるから、その終了に関して調停をするに当っては、終了の際の地上建物の処置について何らかの定めをするのが通常であり、かつ紛争の一回的で円滑な解決という観点からして何らかの明確な定めをしておくのが妥当であるといえるが、しかし、調停のような当事者間の合意に基づく解決方法にあっては、調停の段階では賃貸借の終了期限等一部の事項についてのみ定め、地上物件の処置等その他一部の事項については、後日当事者間で更に話し合って解決する(もし話し合いが最終的にまとまらなければ別途訴訟等によらざるを得ないが)という方法も充分可能であり、それは調停において当事者が意識的かつ明示的に一部の事項を除外して後日の解決に委ねる場合もあり、またそうではなく、調停の際当事者がある一部の事項について取決めをするのを失念したために、その事項については調停自体によって明確な解決基準が与えられず、後日その事項について別途の解決をはからざるを得なくなる場合も充分あり得ることである。そして、そのように調停において意識的あるいは無意識的に一部の事項についての取決めが除外されている場合に、後日になって、裁判所が、当該調停の他の条項からの単なる推測、類推によってその事項についての条項を更正決定によって付加することが許されないことはいうまでもない。
(六) そこで更に本件について見ると、本件調停条項第二項に、土地明渡義務のみが規定され、建物収去の点の記載がないという事実だけから見れば、前述のように単に表現上の過誤によって記載が脱落したにすぎない可能性もあるが、他方、当事者間で、意識的に建物収去の点を後日の話し合いに委ねた(本件調停条項第三項には、既に触れたように抗告人の建物買取請求権が規定されていることから、本件調停にあっては、抗告人の本件建物についての利益がある程度考慮された解決がなされていると見ることができ、その点からしても、建物買取請求権が行使されない場合の本件建物の処置に関して、例えば建物を収去するにしても収去費用等について柔軟な解決を後日考える等、一部を後日の解決に委ねたことも考えうる。)と見る余地もなくはないし、また調停において、建物買取請求権が行使されなかった場合の建物の処置について取決めるのを失念した(これは黙示にではあれ合意に達したが記載を失念した場合と異なる。)可能性もある。そして、このような場合、もし後者の可能性が別の確固とした資料によって否定されるならば、本件調停調書に建物収去の記載のないのは単なる表現上の過誤に過ぎないとしてよいが、本件においては、当初の調停事件についての調停調書等の一件記録が、記録の保存期間経過のため、調停成立時の昭和三八年三月二七日付調停調書を除いては、原裁判所に保管されておらず、従って現時点において、当初の調停事件における双方当事者の主張及び話し合いの経過を裁判所に公的に保管された一件記録から知ることはできず、右の調停成立時の調停調書のみから推測するほかないこともあって、本件調停の際、建物収去の点について意識的あるいは無意識的に取決めをしなかった可能性等を否定できない。結局、前述3(一)ないし(三)の諸事情があるからといって、本件調停条項に建物収去の文言及び建物目録がないことが単なる表現上の過誤であることが明白であるということはできない。
三 結論
以上によれば、原決定が更正した内容が更正前の本件調停調書の明白なる誤謬に該当するとは認められず、抗告人の本件抗告は理由があるから原決定を取消し、相手方の本件調停調書更正の申立てを却下することとし、右申立費用及び抗告費用の負担につき民訴法八九条、九六条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 高橋久雄 裁判官 山下和明 池田直樹)
<以下省略>